6月12日はアンネ・フランクの誕生日、世界中で知られる「アンネの日記」がはじまった日でもあります。
アンネが隠れ家で生活をはじめて、最初に迎えた13歳の誕生日に父・オットーからサイン帳をプレゼントにもらいました。
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アンネは大喜び、さっそくその日からサイン帳に日記をつけることにしました。
あなたになら、これまで誰にも打ち明けられなかったことを何もかもお話しできそうです。どうか私のために大きな心の支えと慰めになってくださいね。
— 1942年6月12日
15年という短い生涯のうち約2年半を、日の当たらない隠れ家で、日中は咳をすることもトイレにいくこともできず、ひっそりと過ごしました。
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そのときの出来事、感じたこと、不満、期待、恐怖、夢が綴られています。
アンネの夢は、作家になること。
それを知っていたオットーは、隠れ家の支援者に協力してもらいサイン帳を入手し、誕生日にアンネに贈ったのです。
戦乱はすぐに終わると信じていたのでしょう、アンネは最後のページまですぐにたどりつきました。
それからは余白の多いはじめのページに戻ったり、紙切れを足したりして日記を書き続けました。
日記を書きはじめて2年後の8月。
ナチス軍に連行されたとき日記と離れ離れになってしまいます。
アンネはその後二度とペンを執ることなく、家族とも引き離され過酷な日々を送った末、強制収容所が解放されるわずか1か月前に亡くなりました。
あのサイン帳がどうして「アンネの日記」として有名になったのか。
アンネらが連行されるときに、隠れ家の支援者がサイン帳を見つけ大切に保管していたのです。
隠れ家生活をともにした8人のうち、強制収容所からただ一人生還した父・オットーは、この支援者と再会し日記を受け取りました。
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父・オットーはアンネの日記を読み、彼女の夢をかなえるため「アンネの日記」を出版することにしました。
彼女の夢は、作家になること。それともう一つ、
世界が平和になること。
「アンネの日記」は11言語に翻訳されており、アンネの作家になりたいという夢は彼女の死後叶ったのかもしれません。
しかし生きて叶えたかったに違いない。生きて、もっともっと書きたかったはず。
もう一つの夢、平和を目にすることなくこの世を去ったアンネ。その夢はいつ叶えれらるのでしょうか。
誕生日からはじまった少女の夢物語は、まだ終わっていないのかもしれません。
この記事は私がオランダ・アムステルダムにある『アンネの家』を訪れたときに目にしたもの、感じたものをもとにしています。
その日はちょうどオランダの独立解放記念日の日でした。入場の列に並ぶ人全員にアンネが大好きだったいちごが配られたり、黙祷のサイレンがなったり、日本人として受け止めるべきことも感じました。
すべての子どもたちが当たり前に夢をみて、その夢を自分の手でつかめる日が一日でも早く訪れるように、私たちができることは何なのでしょうか。
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